障害やダウン症に関するブログやTwitterなどを始めてもうすぐ1年になります。
これらを始めたのはいろいろと理由があるのですが、最終的な目標は義務教育で障害に関する授業が行われることです。
まだまだ時間がかかると思いますが、もしも、今の自分が中学生を相手に授業したらどんな授業をするだろうか、という思いからブログで仮想授業をしてみました。
ダウン症に限らず、障害についてのネガティブなイメージや抵抗感をまずは払しょくすること、どうして障害を知る必要があるのか、という点を中心にまとめてみました。
どなたかの参考になればうれしいです。
それでは授業を始めましょう。


お時間を頂きましてありがとうございます。
本日は「障害って特別じゃない」というお話をさせていただきたいと思います。
家族で障害がある方がいらっしゃれば別だと思いますが、
多くの方は普段の生活で障害者をほとんど見ないし、関わりがない、と思っていないでしょうか?
もしくは、例えば街で困っている障害者を見かけても、どう接したらよいか分からないから、と距離を置いていませんか?
今回の従業では、障害者は特に一線を置く必要はなく、皆さんの日常の中の一つです、ということをお伝えしたいと思います。


簡単に私の経歴です。
といっても特に特徴があるわけではありません。ごくごく平凡な家庭に生まれ、ごくごく健康的な生活を送り、社会人になりました。
今から10年前に奥さんと結婚。その3年後に長男が誕生しました。とてもやんちゃですが、パワフルで健康な男の子です。
兄弟を作ってあげたいという思いから、4人家族を計画しました。
2017年に次男が誕生し、この瞬間から私はダウン症をもつ障害児の父になりました。
私も奥さんも先天性の障害を持った親族はいませんので、本当に予備知識もなく、何の前触れもなく、突然、障害と関わりをもつことになりました。
こういった紹介をすると、私の家庭は障害児のケアに追われている印象を持たれるかもしれませんが、本当にいたって普通の生活です。
何の数字か分かりますか?


さて、本題に入ります。
唐突ですが、7.6%。これ何の数字か分かりますか??
・・
・・・
当然、障害に関連する数字です。
・・・・
・・・・・ では、回答です。


正解は日本の人口に占める障害者の比率です。
内訳も書いてありますが、身体障碍者と精神障害者が400万人強、知的障害者が109万人、合計すると約964万人です。
一人のひとが身体障害であり、知的障害でもあるような場合は重複してカウントしているケースもありますが、むしろ、ここにカウントされていない軽度の障害者も多くいらっしゃることが予想されるので
そういった方も含めれば、もっと人数は増えると思います。
ちなみに964万人というのは、東京23区の人口とほぼ同じです。

東京よりも皆さんのクラスで考えたほうが分かりやすいでしょうか。
30名の学級で考えると、少なくとも2人は何らかの障害があることになります。
思っていたよりも多くないでしょうか?
今の日本の教育だと、すでに知的障害などある場合はクラスや学校が分かれているのであまりピンと来ないかもしれませんが、
30名くらいの集団になった場合、数人は障害者がいて当たり前、ということになります。
障害者は減っていますか?増えていますか?


では、最近の傾向として障害者は増えているのか、減っているのか、確認していきましょう。
まずは、身体障害者からです。
グラフを見ると一目瞭然ですが、身体障害者は増加傾向にあります。これは、高齢者の増加がその主な原因になります。
身体障害者全体に占める65歳以上の割合は1970年代は30%程度だったのに対し、2016年には70%を超えています。ちなみに、全人口に占める65歳以上の割合は27%程度です。65歳以上の人口は2042年にピークを迎えると言われていますので、身体障害者の数は今後もしばらく増加することが予想されます。


続いて知的障害者です。こちらは1995年からのデータになります。
特に2005年以降、最近にかけて増加傾向が顕著になっていることが分かると思います。
2011年と比較して2016年は約34万人増加しています。知的障害は幼児から発達していくまでにあらわれることが多いので、身体障害のように人口の高齢化の影響を大きく受けることはありません。
以前に比べ、知的障害に対する認知度が高くなり、療育手帳(障害者手帳)取得者の増加が要因の一つと考えられ、
このあたりはインターネット、SNSの普及が貢献しているのではないかと思います。
18歳以上の知的障害者が多くなっているように見えますが、発達期以前に知液障害の認定を受けた方が年齢を重ねているため、グラフの見た目上はそのように見えます。
身体障害者とは特徴が違いますが、こちらも増加傾向であることが分かりました。


最後に精神障害者です。
こちらは更に新しいデータだけで2002年からになります。
そもそもの話ですが、身体障害や知的障害と比べて、精神障害とはどんな障害かイメージしにくいかもしれません。
精神障害とは簡単にいうと、脳の障害によって気持ちや行動に偏りやこだわりがみられる状態のことを言います。原因は様々で生まれつきの方もいますし、外傷、薬物、アルコール、ストレスなど本当にいろいろあります。
データが出ている15年ほどの間に主に35歳以上の方が増加傾向にあります。これは不況などの影響で働き盛りの年代で過剰なストレスによりうつ病になったり、高齢化の影響でアルツハイマー病の発症が増えているためと言われています。
コロナ禍のストレスはこういった影響も出てくるかもしれません。


このように日本の人口に占める障害者の人数、比率は高くなっていくことが予想されます。
今はなかなか自分の生活と障害が結びついていない方でも、ごく自然に障害のある方を目にしたり、
一緒に働いたり、ともに生活をすることだってあると思います。
自分がこれから病気や外傷で障害者になるかもしれません。
これから先、障害に対して一線を引いた関係よりも、線引きをしない関係のほうが自然になってこないでしょうか?
障害に対する意識の変化がおきている?


さて、これまでの数、人数の変化と少し目線を変えて、意識の変化についてです。
先ほど知的障害に関する推移を見た際に、知的障害に対する認知が広がっている、という話をしました。
これは、これまでは変わっている人、で済まされていたようなケースでも障害として認識されたり、
障害と、障害のすき間、どちらの定義にも微妙に当てはまらない、とされていたケースでも障害として認められるといったことが増えているということです。


認知の広がりの一例を見てみましょう。
自閉症、という障害があります。
一般的に原因は脳の障害によるものと考えられていて、特徴は「こだわりが強く、コミュニケーションが苦手、言葉の発達の遅れを伴う」と言われています。
これと似たような障害でアスペルガー症候群、カナー症候群があります。
自閉症、は聞いたことがあっても、カナー症候群をきいたことがある人は少ないのではないでしょうか? アスペルガー症候群はどうでしょうか?
これらの障害には似たような特徴があることが図からも分かると思います。

ただ、これらは別々の障害として分けられていました。
自閉症は知っていても、アスペルガー症候群を知らなかった場合、
言葉の発達の遅れがないので自閉症とは違うし、障害はないのであろう、と誤認してしまわないでしょうか?
現在はこれらの障害は「自閉スペクトラム症候群」として、関連する一連の障害として整理されています。
こうすることで障害の境界を少なくし、広げていくこともしやすくなるので、障害として認識されることが増えてきています。


障害、として認定されることは悪いイメージがあるかもしれません。
確かに、障害がないのにもかかわらず、あるように判定されることは良いことではありません。
ただ、障害があるのであればそれは早く判定、認識をされるべきです。
そうすることで、はっきりしない不安は解消されますし、何より早期に療育など対策を始めることで前向きになれます。
認知されるということはとても大切なことなのです。
自分はマジョリティですか?マイノリティですか?


また少し目線を変えて、障害も世界のなかの多様性として捉えることはできないでしょうか?
最近はLGBTQなど性的マイノリティのことがたびたび話題になります。本人の持って生まれた特性、個性として認識されるべきで、否定されるものではないはずですがまだまだその認識がいきわたっているとは言えません。
これらの原因は自分たちと違うものを否定したがる、集団心理から生まれているのではないかと私は思っています。
しかし、誰でもいつでも集団からは外れる可能性があります。
そもそも誰が多数派で、誰が少数派で、どっちが正しいかなんてわかりません。
確かなのはそれぞれが一人の独立した人で、少なくとも持って生まれたもののために他人から否定される必要は全くない、ということです。


大多数の人が現在は障害などはなく、LGBTQにも該当せず、自分はマジョリティだと思っているでしょう。それには特に問題はありません。
ただ、自分とは違うマイノリティを軽視しているのであれば話は別です。
人にはそれぞれ、事情や違いがあります。
また、いつ自分がマイノリティになるかは誰も分かりません。
でも、明日には、一時間後にはマイノリティになっているかもしれません。
そんな時に欲しいのは、違いや多様性が認められない社会ではないですよね?
今現在に定型、健常、障害者であることに関わらず、多様性や違いを認めることは全員の利益になります。
よく知らないまま思い込みをしていませんか?


それでも障害がある、というだけで抵抗がある人は
精神障害、知的障害ときくと、コミュニケーションが取れない、と思っていないでしょうか?
これはそんなことはなく、音声、しぐさ、シンボルなどの方法でコミュニケーションが取れる人も多くいます。
我が家の次男は知的障害のあるダウン症児ですが、あれを持ってきて、片付けて、トイレ行こうなど日常の会話はある程度理解して動けます。
ダウン症児の3歳児がこういったことをできることも意外だったりしないでしょうか?
働いているダウン症の方も、一人暮らしに挑戦しているダウン症の方もいます。
個人差がある障害なので、本当に千差万別です。


もうひとつ、身体障害者に対するイメージですが、
体に障害がある人は一様に誰かに助けられる弱者だ、と思っていませんか?


左の写真はオズールという会社が開発した最新の義足です。AIが搭載されていて、人の体重移動や転倒の可能性を自動で検知、予測し、それに合わせて動きます。
義手の写真はイタリアのスタートアップ企業が3Dプリンタで作成したものです。こちらの人の筋肉の動きに反応して動きます。デザインもとてもかっこいいと思いませんか?
義眼は受光素子をガラス球に3Dプリントしたものです。今は捉えた映像を処理して網膜や視神経に刺激を与え、視力の機能回復に使われ始めていますが、ゆくゆくは完全な人口眼になるでしょうし、ズームや望遠機能などがついてくれば、人の目を上回る可能性が十分にあります。
これらの技術の進化の末は助けなくてはいけない弱者を多く生むことになるでしょうか?


注意してほしいのは、先ほどのコミュニケーションの話も義足などの話も、
当てはまる人もいれば当てはまらない人もいるということで、
一様なイメージを作ってしまうことがよくない、という点に注意してください。
健常であっても障害者であっても性的マイノリティであっても、個人の特性、違いは尊重されるべきです。


そして、これらを整理して理解すること、多様性を認識することは
自分の世界を広げること、
自分が当事者になったときに耐えられる強さを与えてくれます。
さいごに。


そして、障害やマイノリティなどの違いや差は目にしない特別なものではなく、
ありふれた日常の一部だと理解してください。

本日はありがとうございました!!